父が心血を注いで創り上げた会社
エース・クリーンの軌跡

――エース・クリーンの成り立ちについて教えてください。

株式会社エース・クリーンは、私の父である現・代表取締役会長の中井英治が、北見市のごみ有料化を機に1976(昭和51)年に立ち上げた会社です。

設立してしばらくは資金もそれほどなかったのでしょう。会社の事務所は、私の母、つまり父から見れば妻の実家の物置を改装したものだったと聞いています。社名を掲げた看板もなく、ともに働く社員は5名ほど。それが今では、4つの部署で66名の社員が働く企業に成長しました。

誰に何を言われても自分を信じて会社を立ち上げ、そして成長させた父の背中の大きさたるや。私にとって父は親であるのと同時に、もっとも尊敬する経営の先輩でもあります。

――40年で社員が約60名も増えているということは、当時の社長(現会長)は積極的に事業を拡大されていったのですね。

父はベンチャー精神が旺盛で、本当にさまざまな事業に挑戦していきました。

創業時のメイン事業は、市内の事業所からでるごみの収集と、下水道の清掃。一般廃棄物処理事業や浄化槽の設計から維持、くみ取りまで一貫して行う体制を構築します。

ほかにも産業廃棄物汚泥中間処理施設の設置、家畜糞尿処理施設の設計・施工など数多くの新規事業を立ち上げ、積極的に会社を拡大していきました。中には志半ばであきらめざるを得なかった事業もありましたが、これらの挑戦から得られた経験はすべて会社の糧となり、今の経営につながっています。

いち社員として
会社を支えた7年間

――中井社長がエース・クリーンに入られたのはいつ頃なのでしょう。

「社長の息子は会社を継ぐのが当たり前」と考えていたわけでも、強制されたわけでもありません。ところが、私が短大を卒業したときに父が「うちの会社に入らないか」と誘ってくれたんですよね。それが今から23年前、1997年のことです。

父は私を息子だからと甘やかすでもなく、他の社員と同様に現場の仕事に就かせてくれました。入社から7年は現場作業に従事して、うちの会社がどのようにして事業を営んでいるのかを肌で理解できましたし、職場の環境や文化などについても社員目線から感じ取ることができました。

その後は管理職から役員へとステップアップしていき、2020年に代表取締役社長に任命され今に至ります。入社から23年。気が付けば、人生の半分をこの会社で過ごしています。仕事を通して出会った方々から、業務に限らずさまざまなことを学びました。この会社も、ここで過ごした時間も、すべてが私の財産ですね。

エース・クリーンが目指す未来
社長・中井真太郎の目に映るビジョンは

――中井社長が今力を入れている事業、あるいは今後伸ばしたい事業について教えてください。

私は社長に就任する前から、とある新規事業の立ち上げに取り組んできました。それが木材を原料にした牛用飼料「キャトルエースです。2014(平成26)年に開発をスタートした本プロジェクトは、公的研究機関や大学、行政、民間企業に地元企業、それに肉牛の生産者の手を借りながら、あっという間に大規模プロジェクトへと発展していきました。

そして2020年、とうとうキャトルエースの製造プラントを設置・開設するまでに至りました。キャトルエースを軸にした飼料製造事業は、北見市内にとどまらず、日本全体の農林業に大きく貢献できる可能性を秘めた事業だと考えています。これからどのようにしてこの事業が成長していくのか、今から楽しみでなりません。

――エース・クリーンの今後のビジョンについて伺いたいです。

会社の成り立ちや事業拡大の歴史を見てわかる通り、当社は創業時以来、地域の人々の生活・環境の維持に欠かせないごみ収集や清掃関連の事業に誠心誠意取り組んでまいりました。今後も軸はそのままに、変化する社会情勢にも対応する柔軟な思考や体制を持って、地域の発展に貢献する事業の創出を目指すなど、挑戦を続けていきたいと考えています。

私は自社に掲げる経営理念とそれに連なる10年ビジョンに、このような文言を入れました。

“私たちは、郷土を愛し、北見市の発展の為に貢献します”

エース・クリーンが生まれてから40年の間に、世界は大きく様変わりしました。労働人口の減少、そして東京一極集中の激化は、地方企業にとって大きな損失につながります。

お客様のニーズを掘り下げると、ときに事業の芽が生まれることがあります。事業をひとつ作ると、仕事と雇用が生まれます。雇用が増えれば、ゆくゆくは市民の経済的な幸福度の向上につながるでしょう。

エース・クリーンのお客様が当社の商品やサービスを通して幸福を得て、お客様が幸福なさまを見て社員の心が満たされる。当社にかかわるすべての人が幸福に感じられる、そんな会社を築き上げていきたいですね。